本の中にある言葉をきっかけに、自分の経験や今の社会について考えてみるシリーズです。
今回取り上げるのは、『修身教授録』(森信三 著、致知出版社)。教師を目指す学生たちに向けた講義をまとめた、人としてどう生きるかを考える一冊です。
その中の「仕事の処理」を手がかりに、こそだて中のキャリアについて考えてみます。
私たちの日常生活=仕事を処理することの連続
『修身教授録』の第1部 第26講「仕事の処理」では、私たちの日常生活は、立場にかかわらず、すべて仕事を処理することの連続であり、それに明け暮れているともいえると説かれています。
次から次へと現れる仕事について、何を先に行い、何を後に回すのか。それを明敏に判断し、一度決めたことは、断固たる意志をもって実行する。
その処理の仕方を見ることで、その人の人間としての力量までうかがえる。それほど仕事の処理は重要なものだと、森先生は考えていたようです。
仕事を処理すること=人格を高めること
森先生はさらに、仕事の処理は「修養」であるとも述べています。
修養とは、簡単にいえば、日々の行動を通して自分の心や人間性を磨き、人格を高めることです。
森先生は、読書や座禅も修養上大切かもしれないが、結局は、日々の仕事に向き合うことこそ、生活を充実させ、自分を磨くことにつながることであり、修養の中心だと説いています。
業務は仕事のたった一部
ここで私は、森先生のいう「仕事」を、業務上の仕事だけではなく、生活の中にある「自分がなすべきこと」、つまりタスク全体として理解し、読んでいきたいと思います。
こそだて中の生活には、業務上の仕事に加えて、膨大な育児の仕事があります。
食事を用意する。着替えや持ち物を準備する。送迎する。学校からのお知らせを確認する。病院や行事の予定を調整する。
それだけではありません。
子どもの表情や体調の変化に気づく。話を聞く。気持ちを受け止める。これから必要になることを考え、家族と共有する。
こうした目に見えにくいことも含めて、こそだては「次から次へと現れる仕事」の連続です。自分が抱えている『仕事』の量さえ、把握しきれないことはありませんか?
仕事の選択
森先生のお言葉の中にこうあります。「さらにまた深みのある生活と言っても、この立場から見たならば、自分のなすべき仕事の意味をよく知り、その意義の大きなことがよく分かったら、仕事は次つぎと果たしていかれるはずであって、そこにこそ、人間としての真の修養があるとも言えましょう」
ここの解釈こそ、人それぞれに大切な部分だと思います。
森先生は、仕事の本末軽重をよく考え、処理する順序を決めることも大切だとしています。ただ、それ以上に大切なのは、自分のなすべき仕事の意味をよく知ることだと私は読みました。その意義の大きさが本当に分かったなら、人は自然とそのために動いてしまう。そうして仕事を処理し続けることが、そのまま日常となり、人格を高めていくのだと思います。
私は、こそだてとキャリアに悩み、自分の人生を俯瞰して考え続けた時期があります。
今思えば、業務としての仕事と、こそだての仕事に溺れ、流水のように処理することができなくなっていました。特に、我が子にしてあげたいと思いながら、できずにいた仕事が溜まっていました。自分のなすべき仕事の意味と、その意義の大きさをしっかり考える時間すら業務としての仕事に重きを置きすぎて、おざなりにしていました。
フェーズは優先順位を変える
仕事の本末軽重の基準は、人生のフェーズによって変わります。若い頃に大切だったものと、こそだて中に大切なものとでは、「重要な仕事」の定義そのものが違ってきます。
仕事の処理が修養であるならば、こそだてのフェーズに入ったときというのは、一度、自分にとって本当に大切なものを見極める必要があるのかもしれません。森先生は、重要性の低い仕事を思い切って捨てるには『私欲切断の英断』が必要だと説いています。それほどまでに、何かを重要性の低い仕事に認定し、断乎として切って捨てることは難しいと感じます。
念のためお伝えしますが、こそだてのために自分のキャリアを諦めることが正解とは、私は考えていません。
これまでと同じ働き方、同じ評価、同じ完成度を維持しながら、こそだても完璧に行おうとする。その「すべてを手にしたい」という思いに対して、本当に仕事が滞りなく流れているのか、どうしたいのか、一度見直すことではないかと思います。そして、それは人格の形成、および日常生活を真に充実した深みのあるものにつなげるものであると思っています。
何を最優先にするかを判断し、その時々で完成度を分配する。後に回すもの、やめるもの、人に頼るものを決めることも、仕事を処理するための大切な決断です。
まだ分からないもの
森先生は、仕事の処理について、とても印象的な表現をしています。
仕事を処理することは、少ない兵で大軍に立ち向かい、一心を集中して中央突破を試みるようなものだというのです。
あれこれと気が散り、自分がなすべき眼前の仕事を後回しにしている人は、仮に才知のある人であっても、真に深く人生を生きる人とはいえない、とも述べています。
正直、今の私にはまだこの言葉の真意がわかっていない気がします。頭で理解しようとはできますが、すっと入ってきません。笑
子どものお迎えに間に合うように業務をかたっぱしからこなしていた頃こそ、流れる水のように仕事を処理することに心血を注いでいましたが、今は、子どもとの時間を絶対確保しながら個人として仕事をしていて、次から次へとすべき仕事が湧き出てくる状態です。「一心を集中して中央突破している感」はどちらでもありましたが、今の方が何かしらの方向に動きを感じています。まだまだ掴めていないですが、いつかちゃんと掴めたら追記していきたいと思います。
つまるところ、「まだ分からないもの」があってもいいのだと結論づけました。
大切にしたいことがいくつもあると、何を優先し、何を手放すのか、一人では整理しきれないこともありますが、それもまた人生。人や書籍から教えをいただき、自分の軸を作っていったり、仕事を処理し続ける中で、日常となり、人格となり見えてくるものもあると思います。
最後に少しPRさせていただきますが、女性のための思考整理塾も、こそだてとキャリアについて思考を整理したいときには、選択肢の一つとして覚えておいていただきたいです。
まだ考えがまとまっていなくても、大丈夫です。あなたの思いや迷いを伺いながら、何を大切にし、どこに力を注ぎたいのかを一緒に整理していきます。
機会があれば、ぜひお話ししましょう。
